The Glenlivet 12 Years Old
エレガントでクリーンな政府公認第一号蒸留所
『ザ・グレンリベット12年』は、明るい鮮やかな金色が目を引く、スムースでバランスの取れたフラッグシップボトル。主にアメリカン・オークのバーボン樽で熟成され、バニラの口当たりと独特のスムースさが特徴。はちみつやバニラといった甘い香りと味わいにリンゴのフルーティさ、そしてわずかに感じるスパイシーさとバーボン樽熟成で感じられるニュアンスもある。トロピカルフルーツや花の香り、夏の草原を想わせる香りソフトな味わいの中にスパイシーさ、繊細なフローラルの香りも感じられる。飲み方としては、ハイボールや水割りでも美味しく飲めるが、まずはストレートで。飲みやすいので初心者にオススメ。
・グレンリベット蒸留所のこと
グレンリベット蒸留所は、スペイサイド地方マレーに位置する。スペイ川の支流、リベット川とエイボン川が合流する少し奥まった標高約270mのリベット渓谷に建っている。「グレンリベット」とは、ゲール語で「平穏な谷」「スムーズな谷」という意味。この地域は、良質で豊富な水源、ピートも潤沢で冷涼な気候のため、昔から「密造者の谷」と呼ばれるほど数多の密造者が存在した場所である。
「すべてのシングルモルトはここから始まった」、という謳い文句で知られる「グレンリベット蒸留所」の創業は1824年。対仏戦争の戦費調達を目的に、1725年から始まったウイスキーに対する課税強化の法律が緩和された翌年である。創業者のジョージ・スミスは、父の代から続く密造者で、当時のハイランド地方を代表する卓越したウイスキー職人だった。その一家が、ウイスキー造り最適の地として選んだのが、スペイサイド地方のグレンリベットだった。
スミスが造るウイスキーは、その時代から高い評価を得ていて、イギリス国王ジョージ4世(在位1820~30年)までが「グレンリベット」を愛飲していたという(国王までが密造酒を好むという本末転倒の事態も、酒税法緩和へ動き出す一因だったともいわれる)。酒税法が緩和されると、スミスは政府からライセンスを受け、スコットランド初の政府公認第1号の蒸留所となった。
ようやく大手を振ってウイスキー造りができるようになったのだが、新しい酒税法を快く思わない密造酒仲間達から裏切り者の烙印を押され、ジョージは常に命まで狙われることとなった。そのため護身用として拳銃を2丁携帯していたといわれるが、蒸留所は幾度も不審火に見舞われた。しかし、そんな困難とは別にスミスが造るウイスキーは評判は高まり、19世紀半ばになる頃には「モルトウイスキーの代名詞」とまでいわれるほど高い評価を得ることとなった。
1871年、創業者のジョージ・スミスが亡くなると息子のジョン・ゴードン・スミスが蒸留所を引き継ぐが、この頃から新たな問題が一家の頭を悩ませる。ミルクのようなウイスキーと形容されるほど高い「グレンリベット」の評判に、次々と〝グレンリベット″を名乗る蒸留所が現れ、その数は1870年代には30近くまでのぼったという(当時はマッカランやアベラワーもグレンリベットを名乗っていたといわれる)。1880年にスミス家は提訴し、4年後の1884年に判決が下った結果、本家の「グレンリベット」のみが定冠詞「THE」を付け単独で名乗ることができるようになった。
その後、しばらくはスミス家単独で経営を続けたが、1953年にグレングラント社と合併し、ザ・グレンリベット&グレングラント社を創設。さらに1970年には、ロングモーン社及びヒルトムソン&Co社を取り込み、グレンリベットディスティラーズ社を創設した。1978年にはカナダのシーグラム社が蒸留所を買収、その傘下のシーバスブラザース社が蒸留所の運営に当たることとなった。しかし、シーグラム社は酒類事業から撤退、2001年にフランスのペルノ・リカール社に買収され、現在に至るまで同社の所有となっている。
現在の仕込みはワンバッチ麦芽13.5トン。 麦芽はマレーのポートゴードン村にあるクリスプ・モルトハウスのノンピートのものだけを使用。仕込水には、蒸留所周辺に点在するジョシーズ・ウェルなどの泉の、ミネラル分に富んだ良質な硬水を使用している。グレンリベットには、もとよりあった第1蒸留棟(スチル8基)と、2010年と2018年に稼働した第2(6基)、第3(14基)の蒸留棟がある。
仕込みのサイズや、ランタンのような長く細い首を持ったスチルの形状や大きさは全て同じ。この形状が、ザ・グレンリベットのすっきりとした味わい一役買っているという。
発酵槽は木製が16基、ステンレス製が16基の計32基。 数だけであればマッカランやグレンフィディックより少ないが、年間生産能力は21万リットルで、スコッチ蒸留所最大となっている。
熟成樽には主にバーボン樽を使用し、ウイスキーに甘みとバニラのような香りを与えている。その他にもフレンチ・オーク樽を使用し、ウイスキーにスパイシーさと複雑さを与え、一部ではシェリー樽も使用し、果実のような香りと深みを与えている。
スコッチウイスキー課税の功罪
1707年にイングランドはスコットランドを併合、グレートブリテン王国が誕生した。スコットランドでは、1644年よりウイスキーの課税が始まっていたが、1725年なると対仏戦争戦費調達や、ハイランダー氏族の反乱を抑えるために大幅に課税が強化された(一説には15倍にもなったといわれる)。生産者の多くは反発し、ハイランド地方の山奥などに籠りウイスキーの密造を始めた。1746年、ジャコバイトの反乱が鎮圧されると、スコットランド人の民族的誇りであるバグパイプと、伝統の民族衣装であるキルトの着用を禁じた(~1782年)。しかし密造者の規模は、その残党などが加わりさらに拡大しました。
まさに苦難の時代といえたが、このことがスコットランドの地酒に過ぎなかったウイスキーに、大きな変革をもたらすことになる。このころのウイスキーは、ジンやウォッカと同じ無色透明のホワイトスピリッツだった。造られるのは密造酒で、当然大っぴらに販売することができない。そこで生産者は出荷の機会が到来するまで、ウイスキーをシェリー樽の空き樽などに詰め、さらに収税官の目から逃れるため人目につかないように隠して保管した。いつから保管していたことさえ忘れた頃、ふと樽を開けてみると琥珀色に輝くまろやかなスピリッツへと変わっていた。これがウイスキーに、樽熟成という製法が加わった瞬間である(この後、スコットランドで木樽による熟成が法律で義務化されたのは1915年のこと、それ程昔のことではない)。
さらにポット・スチル(単式蒸留器)も、収税官にみつからないよう目立たない小型のものを使い、2回蒸留する製法もこの時代に考案された。また、大麦麦芽を乾燥させるための燃料も、他に選択肢がないため地場で賄えるピート(泥炭)が使われた。これがウイスキー独特のスモーキー・フレーバーを与えることになった。つまりウイスキーを特徴づける製法の多くは、この密造時代に確立された。
Data
所有者:ペルノ・リカール社
所在地:Minmore,Ballindalloch,Banffshire
URL:https://www.theglenlivet.jp/
創業年:1824年
蒸留器:初×14基、再×14基(ランタン型)
アルコール度数:40度
容量:700ml
【広告】楽天/ウイスキー通販
【広告】Amazon/ウイスキー通販
・ご指定以外の商品も表示されます。
・お酒は二十歳になってから。