グレンロセス セレクトリザーブ

Glenrothes Select Reserve

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スペイサイドのトップドレッシング

『グレンロセス セレクトリザーブ』は、ノンエイジで熟成年数の異なるバーボン樽熟成の原酒をメインに、少量のシェリー樽原酒をヴァッティングしたもの。ベリーやスイートポテトのような甘い香りに、マーマレードやベイクドオレンジ、カスタードクリーム、それに蜂蜜のような甘みも感じられる。余韻にはショウガやコショウのようなスパイシーさが現れる。グラスを揺らしながら、時間をかけゆっくりと複雑な風味を楽しみたい。まずはストレートで味わい、華やかな香りを楽しむなら少量の加水で。ロックでも美味しく飲めるが、ハイボールにすると、甘くスパイシーな味わいが楽しめる。


・グレンロセス蒸留所のこと

古くから、ウイスキー産業で栄えたスペイサイドの小さな町ローゼス。ここにはポットスチルメーカーで知られる「フォーサイス社」があり、その他にも「グレンフラン」や「グレンスペイ」、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝がウイスキー造りを学んだ「グレンスペイ」 、それに「グレンロセス」を加えて現在4つの蒸留所が稼働している。「グレンロセス」とは、ローゼス川の谷(glen:ゲール語)に建てられたということから名付けられました。さらにローゼスの語源をたどると、ゲール語で「丸い形の砦(Rathes)」という意味になるという。

グレンロセス蒸留所

グレンロセス蒸留所は、1878年その当時近隣のマッカラン蒸留所を経営していたジェームズ・スチュアート&Co社らによって創業。その歴史は、度重なる災禍と苦難の連続で、とても順風満帆といえるものではなかった。

創業の翌年、資金援助を受けていたグラスゴー(スコットランドの首都)の銀行が倒産。まだ建設途中だった蒸留所は、ウィリアム・グラント&Co社の元で、規模を縮小して何とか開業に漕ぎつけました。1887年には、「ブナハーブン蒸留所」を所有するアイラ・ディスティラーズ社と合併、ハイランド・ディスティラーズ社となります。

1893年12月、ポットスチルを2基から4基に増設するためのキルンを増築する工事の完成直前に火災が発生。1903年には爆発事故、1922年には、再び火災が発生し91万リットルもの原酒が喪失、さらに1962年にも火災に見舞われている。しかしこれを契機に蒸留所は拡張工事を実施、ポットスチルを2基増設し6基に、加熱方法もそれまでの直火から蒸気による間接加熱方式に切り替えられた。1929年には、ウォール街で起きた株の大暴落により、蒸留所そのものが一時的閉鎖に追い込まれてしまいます。

こうした度重なる苦難にもかかわらず、グレンロセスのウイスキーは早くからブレンダーから高い評価を得て、スペイサイドの「トップドレッシング」のひとつとされた。ブレンデッドウイスキー「カティサーク」の核となるキーモルトとなっています。

この間幾度もオーナーの交代がありましたが、2010年にエドリントン社(※)からカティサークを手掛ける英国最古のワイン・スピリッツ商BBR社(ベリー・ブラザース&ラッド社)に売却。その後、2017年にエドリントン社が再び蒸留所とブランド権をともに買戻し、今に至るまで同社の元でウイスキー造りを続けている。これが契機となったのかは分かりませんが、BBR社所有となった1993年から始まった、オフィシャルシングルモルトの蒸留年表記を廃止し、2018年からは一般的な熟成年表記に切替わっている。

グレンロセス蒸留所の現在の仕込みは、ワンバッチ麦芽5.5トン。仕込み水はローゼスの町の背後にあるアードカニーとフェアリーズウェルの2つの泉から引き使用している。現在でもキルンは存在するが、製麦はノンピートのものをモルトスター(製麦業者)のタムドゥー製麦所に外部委託している。マッシュタン(糖化槽)は、ステンレス製のロイタータン。ウォッシュバック(発酵槽)は、オレゴン松製が12基。以前設備の近代化を図った際にステンレス製を導入したが、ウイスキーの味そのものが変わってしまい、再び木製に戻された。発酵時間は55~60時間と、やや長めに設定している。

ポットスチルは背の高いバルジ型。初溜(ウォッシュスチル:12,000リットル)5基、再溜(スピリッツスチル:14,000リットル)5基が設置されているが、再溜の容量の方が大きいのが特徴である。このスタイルにより蒸気をより多く還流させることができ、グレンロセスの特徴である軽やかでフルーティな香味を持ったウイスキーとなる。

熟成には厳選されたシェリー樽をメインに、わずかながバーボン樽も使用している。グレンロセスでは、蒸留所内にクーパレッジ(樽を製造・修理する工房)があり、クーパー(樽職人)の手により常に最善の状態に保たれている。ニューポット(蒸留直後の原酒)は、アルコール調整されずにそのまま樽詰めされ、ダンネージ式、ラック式のウェアハウス(熟成庫:保管可能数40,000樽)にて熟成される。

瓶詰めの際には、スピリッツカラメルによる着色は行わず、熟成による自然な色のままでボトリングされる。グレンロセスでは、ダルマ型の丸みを帯びたボトルを使用しているが、これは蒸留所で使われてきたサンプルボトルを象ったもの。ラベルには蒸留年や瓶詰めされた年、ティスティング・ノート、モルト・マスター(ウイスキー製造における最高責任者)のサインなどが記されている。

 

エドリントン社(※)

1861年創業の、スコットランドに拠点を置く国際的なスピリッツ会社。「ザ・マッカラン」や「ハイランド・パーク」などをラインナップに持つ。

 

■グレンロセスの幽霊騒動

グレンロセス蒸留所の歴史を語るうえで、どうしても外せない有名なエピソードがある。それは蒸留所内のスチルハウスに出没する幽霊の存在である。

1989年にグレンロセスでは、8基のポットスチルを2基増設する拡張工事を行った。これが契機になったのかは分からないが、夜勤シフトの職人たちが、黒人の幽霊を度々見かけるようになったのです。見覚えのあるその姿から、職人たちはある男の名を思い出したのです。

その男の名前とはバイウェイといいました。

彼はグレングラント蒸留所の2代目、メジャー・グラントの執事を長年にわたり務めた人物です。旅行好きのメジャーは、1990年代初頭に南アフリカを訪れた。その際、道端にいた孤児を助け、そのままローゼスに連れ帰り、道端にいたことからバイウェイと名付けました。バイウェイはその後、60年余りをローゼスで過ごし1972年に亡くなりました。そしてグレンロセス蒸留所に隣接する共同墓地に埋葬されました。その後拡張工事が始まり完成したのを境に、蒸留所内でバイウェイの姿を頻繁に見かけるようになったというのです。

グレングラント蒸留所の執事だった人物が、幽霊となって現れるのですから、グレンロセス蒸留所にとっては何とも迷惑な話。しかしそうとばかりは言っていられない事態となったのです。幽霊の出没におそれをなした職人たちが夜勤シフトを避けるようになり、私大の蒸留所の操業にも影響を与えるようになったのです。

このまま放っておくわけにもいかず、原因を探るべく超常現象の専門家であるセドリック博士に依頼し調査を開始しました。そして得られた結論というのは、新しく建てられたスチルハウスが、亡くなったバイウェイのスピリチュアルロード(幽霊の散歩道)のコースになっていたというのです。そこで霊とのコンタクトを試み、散歩道のコースを変更してもらえるように頼み、以来バイウェイの幽霊は姿を現すことがなくなりました。

この出来事から、グレンロセス蒸留所の職人たちはバイウェイに敬意を表して、乾杯の際に「トゥー・バイウェイ」と一言添えグラスを掲げるようになったという。

 

Data

所有者:ジ・エドリントン・グループ社

所在地:Rothes,Morayshire

URL:https://www.theglenrothes.com/en

創業年:1878年

蒸留器:初×5基、再×5基(バルジ型)

アルコール度数:43度

容量:700ml

 

 

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