Asahi Draft Beer Dark Beer
2025.09.03

「芳ばしさ、まろやかさ、そして懐かしさ」甦った黒生
『アサヒ生ビール 黒生』は、アサヒビールが誇る黒ビールの逸品であり、1982年に誕生した「アサヒ黒生ビール」の復刻版として、2022年に新たな装いで登場しました。19世紀後半のドイツ・ミュンヘンで親しまれた濃色ラガー「ミュンヒナーデュンケル」の流れを汲むこのビールは、下面発酵によるまろやかな口当たりと、麦芽の芳ばしい香りが特徴です。
原材料には、黒麦芽・クリスタル麦芽・ミュンヘン麦芽の3種をブレンドし、麦の旨みと香ばしさを最大限に引き出しています。ホップ、米、コーン、スターチも加えられ、味わいに奥行きとバランスをもたらしています。アルコール度数は5%と控えめで、黒ビール特有の重厚さを抑えつつ、やや甘みのある優しい飲み口を実現。濃厚すぎず、しかし物足りなさも感じさせない絶妙な仕上がりです。
「アサヒ生ビール 黒生」は、アサヒの他の黒ビール「スーパードライ ドライブラック」や「アサヒスタウト」とも一線を画す存在です。ドライブラックがキレ重視、スタウトが濃厚本格派であるのに対し、黒生はその中間に位置し、親しみやすさと深みを両立させています。クラフトビールのような尖った個性ではなく、日常に寄り添う黒ビールとして、幅広い層に受け入れられる味わいです。
その復活には、かつての「アサヒ黒生ビール」への根強いファンの声が背景にあり、「復活の黒生」というキャッチコピーにもその思いが込められています。家庭でもビヤホールでも愛された味わいが、現代の感性に合わせて蘇ったこのビールは、懐かしさと新しさを同時に感じさせる、まさに“時を超えた一杯”と言えるでしょう。
■飲み方あれこれ!!
〇「アサヒ生ビール 黒生」をより深く楽しむには、冷蔵庫で冷やすのは基本ですが、6〜8℃程度のやや高めの温度がベスト。冷やしすぎると香りやコクが感じにくくなるため、少し常温に近づけることで、麦芽の風味がより豊かに引き立ちます。缶のままではなくグラスに注ぐのがおすすめです。黒麦芽の芳ばしい香りがふわりと広がり、美しい濃色の液体とクリーミーでなめらかな泡が視覚と味覚の両方を満たしてくれます。
さらに、同シリーズの「マルエフ」と組み合わせた“ハーフ&ハーフ”も人気の飲み方です。黒生3:マルエフ7の比率が黄金比とされ、黒生の香ばしさとマルエフのまろやかさが絶妙に融合します。注ぐ際は混ぜすぎず、ふわっと注ぎ分けることで、それぞれの個性が活きたバランスの良い一杯に仕上がります。香り、温度、組み合わせ――そのすべてにこだわることで、「黒生」の魅力はさらに深まります。
▶「アサヒビール株式会社」のこと
「アサヒビール株式会社」は、日本のビール産業の黎明期から現在に至るまで、革新と挑戦を続けてきた老舗メーカーです。その歴史は1889年(明治22年)、大阪麦酒会社としての創業に始まり、1892年には「アサヒビール」の名を冠した製品が誕生しました。「旭日昇天」のごとく、日本の夜明けを象徴するような存在として名付けられたこのブランドは、国産ビールの先駆けとして関西を中心に人気を博しました。
1906年には札幌麦酒、日本麦酒と合併し、大日本麦酒株式会社が誕生。戦後の1949年には過度経済力集中排除法により分割され、アサヒブランドを継承する朝日麦酒株式会社が設立されました。1989年には現在の社名「アサヒビール株式会社」に変更され、東京・吾妻橋に本社を構えています。
「アサヒビール」の歴史の中でも特筆すべきは、1987年に発売された「アサヒスーパードライ」の登場です。それまでのビールとは一線を画す“辛口”というコンセプトを打ち出し、「洗練されたクリアな味」というキャッチコピーとともに、消費者の嗜好の変化を的確に捉えた商品でした。結果として、低迷していた市場シェアを一気に回復し、ビール業界に革命をもたらしました。
ビール造りにおいて、「アサヒビール」は常に品質と技術革新を重視してきました。たとえば、日本初の瓶入り生ビール(1900年)、缶入りビール(1958年)、アルミ缶入りビール(1971年)など、数々の「日本初」を生み出しています。また、世界初の屋外発酵貯酒タンクの開発や、環境配慮型の製造設備導入など、製造工程にも先進的な取り組みを行ってきました。
「アサヒビール」は、麦芽・ホップ・水といった基本素材へのこだわりはもちろん、消費者の声を反映した味づくりが特徴です。技術者の判断だけでなく、実際に飲む人の評価を重視する姿勢は、1980年代のスーパードライ開発時にも顕著でした。さらに、糖質ゼロの「スタイルフリー」や新ジャンルの「クリアアサヒ」など、健康志向や多様なニーズに応える商品展開も積極的に行っています。
現在では、国内外に製造拠点を持ち、グローバルブランドとしての地位も確立。130年以上にわたる歴史の中で培われた伝統と革新の精神は、今もなお「アサヒビール」の一杯一杯に息づいています。ビールを通じて「最高の明日」を届けるという企業理念のもと、アサヒはこれからも進化を続けていくでしょう。
▶アサヒビール株式会社の歴史(年表)
1889年:
大阪麦酒会社が設立。
1892年:
「アサヒビール」が初めて発売される。
1906年:
大阪麦酒、日本麦酒、札幌麦酒の3社が合併し、大日本麦酒株式会社が誕生。
1949年:
過度経済力集中排除法により、大日本麦酒が分割され、朝日麦酒株式会社が設立される。
1958年:
日本初の缶入りビール「アサヒゴールド」が発売。
1971年:
日本初のアルミ缶入りビールが発売。
1986年:
「アサヒ生ビール」が発売。
1987年:
「アサヒスーパードライ」が発売され、爆発的な人気を得る(※)。
1989年:
社名が「朝日麦酒株式会社」から「アサヒビール株式会社」に変更。
2001年:
ニッカウヰスキー株式会社を完全子会社化。
2009年:
豪州のSchweppes Australia社を買収し、海外展開を強化。
2011年:
持株会社体制へ移行し、「アサヒグループホールディングス株式会社」が設立される。
■「アサヒスーパードライ」が発売され、爆発的な人気を得る(※)
〇1970〜80年代、アサヒビールはキリンやサッポロに大きく水をあけられ、シェアはわずか9.6%まで低下。業界最下位に沈み、経営危機に陥っていました。この状況を打破するため、住友銀行から派遣された村井勉氏が1982年に社長に就任。彼は「マーケットイン(消費者目線)」の発想を徹底し、社内の空気を一新しました。
徹底した消費者調査の結果、「コクがあるのにキレがある」という矛盾するニーズが浮かび上がります。これを実現するために、味の“損益分岐点”を探る試行錯誤が続きました。そして1987年、「アサヒスーパードライ」が誕生。従来のビールとは一線を画す“辛口”という新しい価値を打ち出し、発売と同時に爆発的なヒットを記録。わずか1年で業界2位に浮上し、1998年にはシェア1位を獲得しました。
この復活劇の裏には、営業本部長・中條高徳氏の強いリーダーシップがありました。彼は「明るい資質なき者はリーダーを去れ」と語り、社員の士気を高めるために自ら檄を飛ばしました。涙ながらに社長室で語った若手社員の思いが、全国店長会議での戦略提案につながるなど、ドラマのようなエピソードも残っています。その後の挑戦
スーパードライの成功後も、アサヒは「マルエフ」や「黒生」の復刻、微アルコール・ノンアルコール商品の展開、海外ブランドの買収など、常に挑戦を続けています。グローバル市場でもプレミアムブランドを展開し、世界的な酒類メーカーへと成長しました。
Data
製造元:アサヒビール株式会社
スタイル:デュンケル(下面発酵)
原料: 麦芽(外国製造および国内製造)、ホップ、米、コーン、スターチ
アルコール度数:5.0%
内容量:350ml(缶)、500ml(缶)、334ml(瓶)、業務用樽生も一部店舗で提供あり。
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